前回までで基礎伏図に人通口や連通管を記入する作業が終わりました。
段々と躯体図らしくなってきましたね。
CADで躯体図を書くと、ある程度作図した段階でなんとなく完成に近い雰囲気が出てきます。
今の段階でもまずまず出来てる感じですから、CADというのはやはり便利なツールだと思います。
ただ、実際にはまだ完成には程遠い段階です。
「あと少しで完成」とか思ってしまうと、残りの作業が雑になってしまいますので、「まだ全然できてない」という気持ちで進んでいきましょう。
■作図者の精神状態が与える影響
「まだ検討する部分がたくさんある」と思いながら躯体図を書いて、気がつくと作図が終わっている。
「もうこの部分を作図すれば終わり」と思いながら躯体図を書いて、そこが終わってもまだやるべきことが残っていることに気づく。
躯体図の完成度として、どちらが優れているかと言えば、通常は前者ということになってしまいます。
一般的な話しか出来ませんが、やはり後者のような感じで作図された躯体図は、抜けが多いです。
躯体図の作図者として、ゴールがきちんと見えていない状態で進んでいる訳ですから、完成度が低いのは当然ですよね。
躯体図の作図を終わらせるのが目的ではなくて、表現すべき事を全て表現することが目的。
それが終われば自然と躯体図は完成ということになりますから、別に無理して完成を目指さなくても良いんです。
結局やらなければならない作業の絶対量は変わりません。
ゴールの手前を目指して走るのではなく、ゴールの少し先を目指して走るようなイメージで仕事をしたいものです。
まあ偉そうなことを書きましたが、毎回そんな理想的な仕事が出来る訳でもないんですけどね。
「まだ完成していない」という気持ちで躯体図を書いて欲しい、という表現をしたのには、そんな理由があるんです。
■図面を公開する怖さ
ちなみに…
私は技術者ですから、あまり「こういう気持ちでやりましょう」みたいな精神論を語るのは好きではありません。
でも、仕事は人間がやるものなので、作図した人の精神状態が躯体図にはある程度反映されることになります。
この躯体図は急いで書いたな…とか、ここは面倒だから適当に書いたな…とか、そんなことを感じることが結構あります。
もちろんその逆パターンも、割合は少ないですけどありますよ。
作図された躯体図を見て、「これはよく考えて書いているな」とか、「きちんとチェックしているな」とか。
そんなことを感じる躯体図も存在します。
躯体図を作図する側は当然プロですけど、作図された躯体図を見る側もプロなんですよね。
だから、作図をしている時の気持ちというか思いというか、そうしたモノはしっかりと図面に表現されるんです。
多分今までに私が書いた躯体図も、作図した時の気持ちをしっかりと相手に伝えていることでしょう。
これは結構怖いことです。
仕事で躯体図を書いて、完成させた図面を印刷して設計に提出し、それが終われば現場に誰でもコピー出来るように置いておく。
そんな流れで躯体図は使われる訳ですが、コピー出来るように躯体図を置いておくのはいまだに怖いです。
どこかに間違いはないか。
忙しい中で作図をしている場合がほとんどなので、そんな余裕のなさが躯体図に現れていないか。
こんな考えはネガティブ過ぎるのか、それとも慎重と呼ぶようなモノなのか微妙なところですが…
こんな感じでも一応仕事にはなっているので、とりあえずは問題ないんじゃないかと思います。